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空間装飾のになう役割=人を明るい気持ちにする






コロナが深刻なことになっています。

罹患された方、および関係者の方々へ、心からお見舞い申し上げます。



さて、今日はアトリエにお客様がいらしたので、このところ制作に集中していた

ドライフラワーのリースをお裾分けしました。ここにアップしている画像とは違うものなのですが、ミモザの黄色を取り入れた春らしいリース。



そのお客様は、お仕事柄地域をあちこち回りながら、今回の新型コロナの影響を受ける

事業主さんの相談に乗っていらっしゃいます。

どこに行っても沈む話題ばかりで、何とか困っている人たちの力になりたいと奔走されていたのですが、そのリースを渡した瞬間、すごく嬉しそうな顔をしてくださって。



春っぽいですねー。何だか久々に気持ちが明るくなりました。

お金を出しても買えない「気持ち」をいただけたみたいです、と。



そうなんですよ、制作する時念力込めているから(笑)

中学生の時に彼氏にあげる手編みのセーターに髪の毛編み込むっていうのが

流行った時みたいですね、怖ーい。髪の毛入りの香水もらったことあるけど

これも相当な恐怖体験です。

そんな種類の念力はこめていないので大丈夫です。



特に相手に向けて何かを込めようというのではなく、とにかく「これだ」と直感する

バランスで製作しています。あるんです。ゴルフのクラブのスイートスポットみたいな

ここだ、キターーーっていうのが。



空間にもそういうのがあります。自然にあふれているところや神社とか教会とか、

神聖だと言われているところに多いです。

そこだけ周りと隔離されているような、まるで異次元のような。

言葉で何と説明したら良いかわかりません。

ライブとか舞台でもそういう瞬間があります。

人にもモノにもあります。本物だ!!って心が震えます。



私はひそかにそのような時間や空間に出会った時のことを神が宿った瞬間と呼んでいます。

自分の生み出したものに、神が宿った瞬間があるように努力を重ねます。

物凄い集中力がいります。



これだ、と思います。それを重ねていくけれど、その時は渾身を込めてこれだと思えるものをやるけれど、積み重ねて仕上がったそばから、その完成度が過去のものになってしまって、もっと出来たはず、もっと精度の高いものが出来たはずという気持ちになってしまいます。思っているところに到達しない。



ただ、その瞬間はその瞬間に全てを集中してやっている。

でも、完璧だ満足だと思えたことはまったくありません。代金をいただく商品として成り立たせるなんていうのは当たり前も当たり前、そんなことに言及すること次第ナンセンスで。



そういうことではなくて、私が目指しているのは、神が宿った瞬間を小さな空間に入れること。壮大です。それに接した人がそれを受け取って、感じて、元気になれるようなものをつくること。



そんなすごいことが自分にできるかどうかわかりません。

そんな素質や技術があるかどうかもわからない。

ただ、ただ、ひたすらそれに向けて努力しなくてはいられない気持ちに駆られるから

意味など考えずにやるのみです。



いつか、完璧と思えるものが生み出せて、心から満足できる至福の時を迎えられるのかなと

自問して気づいたことがありました。



自分の思い描く完璧を目指して一生懸命やっている時間が至福の時でした。

そして、それを受け取った人の嬉しそうな顔をみることができた時。



「理恵子さんの作ったものは笑ってる。」って言ってくれた人。

大切なひとがこの世から旅立って数ヶ月間、なぜか涙が出てこなかった人が

私の作ったものを受け取って、初めて号泣できましたとお手紙をくれたこと。

DEFIさんの空間装飾には愛がある、と感動してくれたイベント運営の人たち。

たくさんの人たちがこれまでにくれた言葉が宝物。



至福の時、私もうそこにいるじゃんって気づきました。

生み出したものを受け取った人から、自分の幸せがもらえる。



適当にやったものでは幸せは贈ってもらえないです。



みんなの気持ちが沈んでいる時こそ、淡々と自分の完璧を目指して、

誰かに元気になってもらえるように、明るい気持ちになってもらえるように。

日々自分のできることを頑張ります。

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